スポンサーサイト

Category: スポンサー広告  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 --_--_--


『白夜の森』

Category: 短編  

 かつて、夜を奪われた森があった。
 眠らぬ樹々はただ立ち尽くし、葉をつけるのを忘れた。地を覆う草花は実を結ぶことを忘れた。やがて森は、むき出しの白い枝を互いに絡ませるのみとなった。それは、風に洗われた白骨のようであり、地面は、干からびて落ち窪んだ皮膚のようであった。

 その森に、ある日、男がやってきた。生気に満ちた褐色の肌と金の髪が、白夜の森にはまばゆかった。
「これはいったい、なんという森だ。俺はいつの間にこんなところに来てしまったのか」
 足を踏み出すたびに、その下で枯れ枝が音も立てずに砂と化した。
 振り返っても、見渡しても、同じような白い枝が伸びるばかりであった。
「ここには、葉ばかりか、光も闇もない。今は昼なのか夜なのか」
 見上げても、空など存在せぬかのように、白い小枝が茂るのみ。

 ふと、男の手が背中に伸びた。次の瞬間にはもう、男の太い腕は、大弓をひきしぼって緊張に張り詰めていた。
 険しく細められた瞳は、わずかな物音を立てた、白骨の茂みに釘付けであった。
 じっとそうしていると、完全な無音に窒息しそうになった。

 その時、風のような声が聴こえた。
「ようこそ、狩のお方」
 同時に、すべるように現れたのは、女だった。
 女は、白く薄い衣に包まれた細腕を両方とも上げて、言った。
「どうかわたくしを撃たないで。弓をおろしてくださいますか」
 すると男の腕の筋肉は急に緩み、弓を取り落としそうになった。
 女は微笑し、いま一歩近づいた。その瞳は、透き通るような水色だった。

「これは、大変な失礼をした」
 男は心を落ち着かせ、右膝をついて身を低めた。
「この森で弓を構えるなどと、ずいぶんと臆病で愚かなふるまいをしてしまったものだ」
「いいえ」
 女はもう一度笑った。ないはずの木の葉が、風にさざめいたようだった。
「この森でも、貴方の弓で狩られるべき獲物はおりましょう。
 して、何を求めこの森へいらしたのです」
 男はいくぶん自身を取り戻したように、胸をはった。
「いちばん大きな獲物を」
「いちばんと。それは何ゆえでしょう」
 女が問うと、男の瞳は、いくぶん柔らかくなった。
「妹の婚礼に捧げたいのだ。幼い頃に親をなくして貧しく暮らしてきた俺たちを支えてくれた心優しい妹だ。村でいちばんの豪華な婚礼にしてやりたい」
「それは結構ですこと。
 …あれを、」
 女はにわかに声を落とし、茂みの奥を指差した。
 あたかもそれに呼び出されたかのように、見事な、緋色に輝く毛並みをもった鹿が現れた。
 なんと見事な! と叫びかけた男を制するように、女は静かな水色の瞳で、じっと男を見つめた。それは、男の中に、熱い炎を燃え上がらせるのに、十分であった。彼は風のように静かに、一瞬の素速さで、弓を絞り、矢を放った。

「見事ですわ」
 女は感嘆のため息をついた。
 矢は緋色の体に、吸い込まれるように刺さって、鹿は眠るように倒れた。
「あれほどの大鹿なら、妹も喜ぶだろう」
 男は嬉々として、仕留めた獲物に駆け寄った。
 
 その時、白骨の森は、燃えるような赤い光に包まれた。
 そして光は、赤だったかと思うと、瞬く間に紫に、青に、濃紺になった。
 同時に、白かった枝先が黒く染まり、森は、闇に包まれた。

「これは」
 男は驚き、足を止めた。その足の下には、黒々と瑞々しい、草むらができていた。
「何が起きたのだ」
 闇はすっかり、男の視界を真っ黒に塗りこめてしまった。

「夜が来たのです」
 女の声がした。風のようだった女の声は、闇の中で、あきらかに生々しくなっていた。
 男はじっと息をのみ、あたりの気配をうかがった。
 すると女は、くすりと笑った。
「この暗闇では、いくら貴方でも何も見えないでしょう」
 火を点す音がし、橙色の炎が、女の顔を浮かび上がらせた。水色だった瞳が、炎を宿して赤々と輝いていた。
「この森に夜を取り戻してくださったこと、感謝いたします」
「俺が、か?」
 すると女は、赤いくちびるで微笑み、男の腕をとった。

 男は女に導かれて、ゆっくりと歩を進めた。やがて立ち止まると、女は地面にたいまつを近づけた。
 そこには、緋色の気が波打つように広がっていた。だが、それは、鹿の毛ではなかった。たいまつの灯りは、若く白い、乙女の顔を映し出した。その顔と首筋は、燃える炎の下でも、青白く血の気がなかった。そして白い胸には、深々と、矢が突き立てられていた。その矢は紛れもなく、男が放ったものであった。
 凍りついた男の腕を絡めとったまま、女はささやいた。
「白骨の森は血肉を得、闇の森へとよみがえり」

「俺が仕留めたのは、間違いなく鹿であった」
 眠ったような乙女の顔に目を奪われたまま、男は言った。
「鹿であろうと人の娘であろうと、何の違いがありましょう」
 そう言うと、女はたいまつの炎を吹き消した。
 たちまち、乙女の亡骸は闇に飲まれた。女は両の手で、男の腕をしっかりと捕えた。
「命とは、どれも等しく、ほかの命を糧にもゆるもの」
「だが、俺は」
 男が言おうとした言葉は、しかし、闇にのみこまれて発せられなかった。
「強き命をもやす貴方こそ、わが森の王にふさわしい」
 女の声は、甘い歓喜に震えていた。
 男の目はすでに暗闇に慣れ、取り戻した夜の喜びに樹々が腕を広げているのを見た。





 
 2010_05_07


Comments


 管理者にだけ表示を許可する


02  « 2017_03 »  03

SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

Author

marika*




.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。